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試写 残り

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なかなか次のフィルムがはかどらないので、試写の残りを〜

カラーネガからモノクロ化。

おまけ
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by sakura-blend | 2010-09-26 00:58 | Kiev 60

キエフ 60 試写

キエフ 60 TTL の試写が上がりました。

まずはコマ間、大丈夫でしたー! パチパチパチ〜(笑)
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3mmくらいずつ空いています。よかったよかった。
こんなことで喜べるんだから幸せなカメラです。
不出来な子ほど褒められるのです。 ^^
ガムテープが絶大な効果を上げてくれました。たぶん。
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ガムテープ貼付けの図。 爆
バルナックライカにだってフィルムの導入部を切るお作法があるのだから、これがキエフ60のお作法ってことで・・・

さて、問題の写真の方は・・・そこそこちゃんと写っているようです。
…と云いますのは、テストに使ったフィルムがちょいと期限切れもので〜(またかい!)
今回は2003年もの。 ちょっと(かなり)露出不足&シアンかぶりになったのです。
カメラバッグのポケットから古フィルムが出てきたのでテスト用に突っ込んだのでした。
やはり7年落ちはさすがにダメですね。(><;)


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おぉ、なかなか雰囲気のある写りではないですか!
露光不足を強引にスキャンしたので苦しい感じですが、なかなかいい描写だと思います。
ブローニーらしい力を感じます。
キエフくん、だてにデカイわけじゃないですね。
元気なフィルムならもっとよい発色を見せてくれたことでしょう。
次こそは新鮮なフィルム入れます。 誓

※撮影場所は小樽・銭函の“大坂屋”さんという喫茶店。
実は巻き取り用のブローニーフィルムのスプールを家に忘れて、このお店でスプールをお借りしたのです。
(上の画像で柱時計の心臓部をレストアされてるのがお店のマスターです。)
スプールを貸していただける喫茶店なんてそうそうありません。 笑
大坂屋さんとあとはウチくらいかな。 ^^


怪しい光線漏れが一枚。
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シャッター幕からの光漏れ?
シャッターを切るとミラーアップになるので、気を付けないと太陽光で幕を焼いてしまうとも聞いていましたし。
懐中電灯で穴が無いかチェック。こちらはOKのようです。
ならば、やはり裏蓋からの迷入だろうか?遮光材は毛糸なので大丈夫かと思ったのですが、さすがに経年で隙間が出来たのかも。
とりあえず裏蓋にモルト補強しました。

内面反射ということもありうるので、そっちも対策します。
けっこうピッカピカ〜☆のミラーボックス内部、植毛紙を貼付けました。
ミラー裏面、銀ピカのネジ頭とかも、つや消しスプレー(ストーブ用/黒)で処置しました。
古いカメラやロシアものには、この内面反射対策が効果を上げることが知られています。
ことキエフなどのP6系には必須とか。
これでよりコントラストの高い像が得られる筈です。 たぶん。

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このへんもっと詳しく知りたいかたは、afuroyanさんの記事をぜひご覧下さい。 ^^


いつものビール園のトラクター、FIATじいさん。
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色がイマイチだったのでモノクロ変換してみました。
わりとカッコいいかも。 モデルがいいんだね!
スクエアの迫力。




Arsenal KIEV 60TTL VOLNA-3 80mm F2.8 / FUJI 160 NC
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by sakura-blend | 2010-09-22 06:09 | Kiev 60

KODAK BROWNIE HAWKEYE  コダック・ブローニー・ホークアイ

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鉛筆削りか、はたまた駅員さんのシグナルか、そんな風体のカメラを妻の友人のAkikoさんからいただきました。
海外暮らしのAkikoさんがガレージセールで手に入れたというこのカメラは、コダック社が1950年頃に製造していたボックスカメラと呼ばれるブローニー(120)フィルム使用のカメラです。
そもそもブローニーフィルムという呼び名はここから生まれたのですね。

このカメラ、二眼レフと呼んでよいのか、縦にふたつ並んだレンズの上側がビューレンズで、上面にある覗き窓(コンデンサーレンズ?)を見ながらフレームを決めるようになっています。
下がテイク(撮影)レンズとなりますが、表に見えているのは保護ガラスで、レンズは実はシャッターの裏にあるのです。
なかなか謎な作り。
しかもプラ性の一枚レンズ。
ん?どこかで聞いたような・・・そう、写ルンですと同じようなスペックなのです。
ピントも絞りも固定だし。シャッターは単速&Bのみ。
「ブローニー写ルンです」、もしくは「アメリカン・ホルガ」とも言えましょうか。

いったいどんな写りなのか気になるところ、早速写してみようと思って困りました。
フィルムが620フィルムという今は無き規格で、サイズは120フィルムと同じなのですが、軸(スプール)の太さ/形状がちょっと違うのです。
調べると、620のカメラを使うにはスプールを2本入手して120フィルムを巻き直さなくてはならないというのです。
当のスプール、1本はボディーの中に残っていました。しかし、もう1本どうしよう・・・オークションやらで探すと無くもないようです。しゃあない、仕入れるか〜
とかいいながら、よくよく見ると送り側のスプール受け部分はただの板バネ仕掛け、これ120の軸でもいけるんじゃないの?とやってみたら、なんのことはない、きっちりハマるではありませんか。
だったら!と、そのままフィルム詰めて撮ってみました。
なんなく撮影OKだったのでした。 ^^

あまり考えずに(考えるところがない)撮れるので気軽でよいですね。
ぶら下げてても軽いし、見た目もキュートです。
カメラに見えなくて、何やってるかわかんないかも知れませんね。


さて結果は・・・

結果はこちら・・・
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by sakura-blend | 2010-09-18 05:55 | KODAK

КИЕВ 60

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オークションで、 画像なし。ネーム不明(K N E B ?)。動作不明。80mmレンズ、カビあり。即決¥3000。という怪しい条件で出品されていました。 

安さに釣られて落札しました。

КИЕВ ・・・?  キエフと読みます。

キエフ60 TTLというロシア(ウクライナ)製のカメラです。

6×6フォーマット(ブローニーフィルム使用)の一眼レフです。

旧東ドイツのペンタコンシックスというカメラを範として、当時のソ連・ウクライナで作られました。

1970年頃、前身のキエフ6Cが開発され、80年代に60 TTLに引き継がれて、以後つい最近まで製造は続いていました。

今でもARAXという会社で製造在庫品が新品で売られています。


とても大きいです。 「バケペン」と呼ばれるペンタックス6×7とおなじくらいのサイズ。 重いです。

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キエフ60は、前述の東独のペンタコンシックスとマウントが共通であるため、名玉カールツァイスをはじめとする数多くの交換レンズが使えます。

昨今のましかく写真ブームで再評価されてもいいと思うんだけど、いかがなもんでしょう。

欠点としては、ロシア製カメラの常として製造が荒っぽいため、コマ間がダブる、シャッターが信頼できないなどなどいろいろと指摘されています。 古い外車をヒィヒィ言いながら乗るような覚悟が必要とされるようですね。

僕も届くまでは「まず動くのだろうか?」という点を心配していたので、シャッターが切れた時にはホッとしました。

コマ間の問題をあらかじめチェックするために、テスト用フィルムを入れて、B(バルブ)でシャッターを切り、マウント側からマジックでフィルムに印を付けるという作業をまずは行いました。

結果、ギリギリコマ間は分離していたようですが、やはりすぐにもダブってしまいそうな微妙さ。

このコマ間を広げるための改造法がネット上に公開されているのですが、一部に「その方法は、シャッター幕の破損につながる怖れがある…」との声もあり、とりあえず大事を取って「フィルムのリーダー部にガムテープを貼って軸の厚さを稼ぎ、結果的にコマ間を確保する」という裏技を採用することにしました。

さて、オークションの紹介文にもあったレンズのカビのほうが結構ひどく、前の2枚を外して清掃しましたが、若干のくもりとコーティングの痛みを残しました。(画像ではキレイそうに写ってますけど。)まぁ周辺だからいいかな。

レンズの名前もロシア語表記で謎、英語表記ではMC VOLNA-3 80mm F2.8 とのこと。

レンズ銘表記からすると90年以前の製品なのだろうか。

まずは試しとフィルムを入れてみた。

ちゃんと写ってるといいなぁ〜
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by sakura-blend | 2010-09-16 03:53 | Kiev 60

秋祭り

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札幌村神社


minolta SRT101 58mmF1.2 / Venus400
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by sakura-blend | 2010-09-12 22:12 | minolta SRT101

The Fly

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くすぐったそう・・・ ^^
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by sakura-blend | 2010-09-12 18:15 | minolta SRT101

バス

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by sakura-blend | 2010-09-12 10:20 | minolta SRT101

歯医者

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OLYMPUS 35 ED D ZUIKO 38mmF2.8 KODAK GOLD 100
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by sakura-blend | 2010-09-09 02:35 | OLYMPUS 35 ED

キタロー

猫のキタローが昇天した。


15年ほど前、僕らは円山公園のほとりにある古い木造アパートに住んでいた。
現在の妻Mikiとであるが、当時はまだ結婚はしていなかった。
僕らはそこでアパートの管理人をこなしながらコーヒー豆の焙煎と他のアルバイトなどで生計を立てていた。
僕は当時後ろ向きと言うか、やっと斜め横向きくらいな感じに生きていて、その日暮らし・・・ ま、今も大差ないけれど、とてもいい加減な毎日であった。
社会生活をしている引きこもりと言ったような感じか。
たいして管理しない管理人としてのうのうと円山公園を散歩したりしていた。


あるとき、同じアパートにMikiの従弟のマサルが越して来た。
マサルはひとめ見て怖いお兄さん風であったが、どういう次第でかは忘れたが、猫を一匹飼っていた。
ウランと言う名で、シャム系の美猫♀であった。
その頃、我が家にはネルと言う傷だらけのとても汚い♂黒猫がいて、ときどきウランに言い寄ったがあまり相手にされないようだった。
ネルは病気があったので、その後早くに死んでしまった。
猫エイズか何かだったのだろう。
円山公園の一画に内緒で埋葬した。
冬だったので雪を掘るのが大変だった。
友人が穴掘りを手伝ってくれた。
ところが、翌日墓参りに行くと埋めたところを何者かが掘り返そうとした形跡があった。
円山公園にはキツネが住んでいるのだ。
冬場の餌不足で腹を減らしているのか、臭いを嗅ぎ付けたのだろう。
しかし、地面に埋めてさらに雪をかけたというのによくわかるものだ。
キツネがくネルの遺体をわえて走っても困るので、コンクリートの敷石でガードしたのを憶えている。

そのあとまもなくうちにはサビという黒猫二代目(♂去勢済)がやって来た。
獣医で里親募集されていた若猫だった。

(ちなみにサビは昨年17歳で死んだ。庭の隅に埋まっている。)


マサルのところにどうした次第か、新たにペルシャ系雑種の子猫がやって来た。
ふわふわのツートンカラー。
ライガーという名前が付けられた。
ウランはよくライガーの面倒をみていたようだった。
ライガーはすくすくと成長した。
ライガーはオスなので、ほっといたらそのうち子供が出来ちまうぞとマサルに警告していたのだが、やっぱり出来た。
詳しくは忘れたが父親似の♀猫が生まれた。
猫のことだから他にも生まれた筈だが、死んだのだったかどうだったか。
とにかくマサルのところの猫は3匹家族になった。
ライガーを去勢しないとまた子供出来るぞとマサルに言っていたのだが、対処はなされず、しばらくしたらまた妊娠したのであった。
アパートは6畳一間である。
6畳の猫屋敷はちょっとまずい。
管理人としてもまずい。
マサルは肉体労働者で朝早く、夜も遅い。
猫たちがにゃーにゃー云ってるので、カギを開けて部屋の様子を見てみると、餌が空っぽだったりで、しかたなく押し入れに並んでいる缶詰をやったりすることもあった。


そんなある日マサルがうちのドアをノックした。
仕事から戻ったら、子猫が生まれていたのだが、母猫のウランの様子がよくないという。
出産の際に子宮脱になって、発見も遅かったためもはや息絶え絶えなのであった。
マサルはいそいで獣医に連れて行ったが、ウランは死んでしまった。

残ったのは生まれたての子猫が4匹(♂×2 ♀×2)である。
学生時代に乳飲み子猫を育てた経験があったので、うちで預かることにした。
マサルには手に負えそうになかったし。
まだ目も開いていないし、初乳だって飲めていなかろう。
ダメもとで猫ミルクと哺乳瓶を買って来た。

Mikiとふたりで子猫育てが始まった。
サビが何事かと気にするので別室で世話することにした。
管理人には2部屋が優遇されていたのだが、Mikiがもう一室を自分用に借りていたのだ。
子猫たちをずっと見てもいられないので、段ボールに湯たんぽで保温するようにしておいて、一日に数回ミルクをやることにした。
お湯で粉ミルクを溶き、哺乳瓶で乳を与える。
子猫はまだ手のひらサイズ。
左手で子猫を持って、右手で哺乳瓶を持ってミルクをやるとちゅっちゅっちゅ・・・といきおいよく吸い付いてくる。
右手の瓶の中のミルクが左手の子猫のお腹に移動して行くのが手応えでわかっておもしろい。
お腹の容量が満たされるとスイッチが切れるようにおとなしくなって、乳首を離す。
生まれたての子猫は、おしっこも自分で出来ないのでティッシュでちょいちょいと刺激してやらねばならない。
みゃーみゃー鳴いている子猫4匹に「ホイ、次!ホイ、次!」という要領で、ミルクをやっておしっこをさせて・・・
子猫たちは飲んだミルクのぶんだけ大きくなって行った。

ところがある日、一匹の子猫♂に異変が見て取れた。
まだ開いていない片方の目が腫れ上がっているのだ。
先天的なものなのかよくわからないが、元気はいいので様子を見ることにした。

ミルク&おしっこタイムにどれの世話が終わったかわかるように一匹ずつに便宜上の名前を付けた。
デカイのがデカとかグレムリンっぽいのがギズモとか。
目の腫れたのはゲゲゲの鬼太郎に似ているのでキタローと呼んだ。

どいつも元気だったが、キタローの目の腫れが日に日に大きくなって来た。
これはまずいと思って獣医を訪ねるとどうも片目が炎症を起こしてダメかも知れないと言う。
とりあえず消炎剤を塗ってみようということになった。
数日後に腫れていた目がプチッとはじけてつぶれてしまった。
ふたたび来診すると、命には別状ないがもう目はダメだということだった。
そりゃそうだろう。
目が先天的な問題だとすると他にもどこか悪いところがあるかも知れないとも言われた。
あららかわいそうにキタローはアウトかもなとふたりで話し合った。

しかし、その後はなにごともなく4匹は成長し、目も開いたのだった。
キタローも残った右の目は無事ぱっちりと開いたのだった。

離乳食を食べ始めるようになったので、新聞の犬猫コーナーに応募することにした。

「かわいいトラ猫さしあげます。トイレのしつけ済み」

順調に電話がかかり、飼い主が決まって行った。
キタロー以外の3匹は市内の新しい飼い主のところにそれぞれ貰われて行った。
実はキタローにも貰い手は付きかけたのだが、なんとなくこいつは残そうかということになったのである。
片目になってしまって不憫に感じたと言うのもあるが、せっかくだから一匹は手元に置きたい気持ちもあった。サビの友達にもなるだろうし。
片目であることもすぐに当たり前になってしまって、意識すらしなくなった。
こういった障害というものは、慣れるとまったくなんとも思わなくなるものだということをこの時学んだ。

しばらくして、サビにキタローが紹介されて、我が家の猫二匹体制が始まった。

キタローは父親のライガーの気性を継いだのか、のんびりとした性格の猫となった。
サビの方は、新参者のキタローに対してはアニキ肌を見せた。
のちにキタローの方がずっと図体が大きくなるのだが、この兄弟関係はずっと変わらなかった。

キタローは片目なのでやはり距離感がつかめないらしく、高いところへのジャンプとかが苦手であった。
サビがひょいと飛び移るような棚の上でも、キタローはもじもじするばかりで飛べないのだった。
それから、水を飲む際に水面に鼻をつけてしまってよくむせていた。
それと関係あるのか水を飲む前にトイレの砂をかくような行動をとる癖がついた。
この癖も終世変わらず、死の数日前に最後に自力で水を飲んだ時もこの作法だけは守っていた。


いちど、キタローがキレたことがあった。

僕らは円山公園のアパートから、眺めのよい高台にあるちいさな貸家に越していた。
近所に黒猫が住んでいた。
この黒猫が隣接する大家さんの庭を通過するのである。
うちの猫たちはサビがいちど外でひどいケガを負って戻って以来、外出させないようにしていた。
サビとキタローは二匹で並んでベランダの窓に座り、外猫を警戒していた。

それがあるとき、またいつもの黒猫が外を通った際に、キタローが凄い声を上げてサビにおどりかかったのである。
全身の毛を逆立てて狂ったような声を出しながら襲いかかるキタロー。びっくりして取り押さえようとしたら、完全にブチ切れてて危険で近寄れない。
座布団を投げ、段ボール箱で取り押さえてとりあえず別室に隔離した。

どうやら状況から言って、外を通っていた黒猫が視界から消えた瞬間、となりにいるサビを侵入者と誤認したもののようだった。
これも片目ゆえの誤判断か。
サビの方はいい迷惑である。
突然となりにいた仲間が「殺したろか、ワレ〜!!!」みたいな感じで飛びかかってくるのだ。
いざとなると体もデカイからキタローのパワーは暴走するエヴァンゲリオンのようである。
ちょうど成猫になりかかって、♂の闘争本能も芽生えて来たようだった。
このままでは平和が保たれないと思い、キタローも玉を取ることとなった。
キタローはどういうわけかマーキング行動(おしっこかけ)がなかったので、去勢しないでもよいかと思っていたのだが・・・

玉をなくしたキタローは、ひとつきりの目をまんまるくしてもとの呑気猫にもどった。

僕はこのとき、いかに♂と言う生きものが、[玉玉]に支配されているのかということに感じ入った。
「去勢」とは言ったものだ。

そういえば、興味深いできごとが一件あった。
今の場所に移ってからの話だが、お店のお客さんで、猫の絵を描くのが好きな女性がいた。
自作イラストの猫ポストカードをうちの店に置くことになり、サビとキタローの絵も描いてくれると言う話になった。
写真を見て描くと言うことなので、猫たちの写真を何枚か渡した。
可愛らしい感じの2匹のツーショットや一匹ずつのポストカードができあがった。
その中で一枚、キタローの絵にサービス(?)でなくなった左目を書き添えてくれたのである。
どれ、両目のあるキタローはどんなだろうと興味津々で見たところ・・・ なんだか変なのである。
見慣れないからと言うのもあるが、それとは別になんだかデッサンがおかしい感じなのだ。
作者によれば、片目の絵にバランスをとって対称の目を描いたと言うことだった。
しばらく眺めていて気付いた。
どうやら目が大き過ぎるのである。
彼女のデッサンミスではなく、キタローの目が事実デカイということなのだ。
やはり、ひとつでふたつ分の働きをするために右目はがんばったのだ。
通常よりワンサイズ大きくなることで、失われた機能をカバーしていたのに違いない。
それをそのままふたつにしたのでは、妙にグリグリと目の大きな顔になってしまうわけだ。
このことはのちにデジタル写真を加工してキタロー両目バージョンを作ってみて再検証された。
体ってのはおもしろいものだ。


その後、現在の家に越してから猫的には安定した時代が続くが、サビが13、4才を過ぎるあたりから冬場に体調を崩すようになった。
毎冬、寒さがいちばん厳しくなる頃に鼻水を垂らすようになり、それが徐々に悪化し、だんだん餌を食べなくなって衰弱、獣医の世話になるというパターンになった。
この持病は年々重症化し、昨年の初冬にとうとう力尽きてしまった。享年、17歳。
キタローとしてははじめて、猫一匹時代となった。

そうなってみると、キタローはどう感じたものなのか、行動に少し変化が見られるようになった。

たとえば、以前は僕の布団の横に潜り込んでくるのはいつもサビで、キタローはまったく寄り付くことがなかった。
キタローはサビに比べて太っているし毛もふかふかしているので、寒さに強いのだと思っていた。
いつもソファでひとりで寝ているのが常だった。
ところがサビがいなくなってから、僕のふとんに潜り込んでくるようになったのである。

考えれば、サビが来ると席を譲るようなところがキタローにはあった。

本当はキタローもみんなといっしょに布団で寝たかったのだろう。
サビもキタローが見ている時にはそうでもないのに、一匹だけの時に抱いてやるといやにゴロゴロと喉を鳴らすことがあった。
そんなところにキタローがやって来ると如実に腹を立てたような動きを見せた。
やはりお互いに強く意識していたのだろう。仲よかったとはいえ…
動物の心理も人と変わらないのかも知れない。

また、キタローは実に警戒心が強いと言うか臆病で、下の店に出て来ることなどほとんどなかったのが、サビがいなくなってから次第に大胆に行動を広げるようになった。
(サビがいなくなったことで、ひとりの淋しさも手伝ったのかも知れないが。)
ある意味、以前より自立した性格にシフトしたように僕らの目には映ったのだ。
好物の煮干しをよこせと言った要求も以前より積極的になった気がした。
いずれにしても、始めてひとりっこになったキタローは新しい側面を見せ始めたのである。
自信を持ったというか〜 そうした変化を僕はMikiや子供たちとも話し合った。
動物もやはり関係性の中で生きていているということなのだろう。

そんな矢先、突然に体調を崩したのが一週間ほど前だった。
奥の部屋に閉じこもってまる一日動こうとせず、すこし足元がよろ付く感じがあった。
ちょうど異常なほどの暑さの日だったので熱中症を疑い、店に置いてある小型のエアコンを急遽二階に持って来た。
脱水もありそうなので、獣医に連れて行った。
連れて行きながら、キタローにとってあの目の時を除けばはじめての通院だと気が付いた。
キタローはおよそ調子を崩すということがなかったのだ。

獣医で腎不全ということばを聞かさた。
とりあえず様子を見る意味で補液注射を受け、家に戻った。
キタローは横になって寝て、およそ食欲もないといったようすだ。

腎不全について検索したところ、「多飲多尿」とう記述に思い当たる点があった。

昨年サビがいなくなって気付いたのだが、猫トイレの砂の使用量がほとんど変わらないのである。
一匹になったのに変わらないということは、ほとんどの尿がキタローのものだということになる。
ひとりでやっとったんかい!どんだけオシッコしとんねん!と、その時はキタローの大食漢ぶりにあきれた気持ちだったのだが。

医学的には、腎機能が低下するに連れて、水を多飲して体内の老廃物を出すという傾向が高まるらしい。
腎不全は猫には多い疾患だが、腎機能が決定的に失われるまでは、多飲多尿によって体内環境をキープすると言うことだった。
よって、症状が悪化して体調が悪くなった時には、すでにどうしようもないほどの状態であることが少なくないのだという。
キタローの場合がまさにこれであった。

あらためて血液検査を行うと、血中の窒素成分(アンモニア)が測定限界を超える数値を示した。

年齢から言っても治療は期待できないと担当してくれた若い女性の獣医さんは述べた。
もしあなたが飼い主だったらどうなさいますかと僕が質問すると、うちに連れて帰るでしょうとの返事だった。
もうすこし若ければともかく、おそらくは苦しむ時間をすこし長引かせることになるだけだろうと。
誠実な対応に感謝し、治療は中止してキタローを連れ帰った。
Mikiと子供たちに容態のことを話すと、皆おどろいた。
暑さでバテタくらいに思っていたのだから、あと数日かも知れないと聞いてもピンと来ないのはしかたがない。
キタローはぐってりと終日床に横になって、ときたま力なく立ち上がってふらふらと水のところに行くが、ほとんど舐める程度となった。
スポイトでムリにでも飲ませようとすると頑として嫌がるのだった。
尿もまったく出なくなっていた。
そんな日が3日ばかり続いて、徐々にキタローは衰弱して行った。
ロウソクが次第に短くなって、もはや燃えるべきロウも尽き、たよりなく命の火がゆらゆらとしているようなそんな状態だった。
もう行ってしまったかとはっとして見ると、思い出したように息をするのだった。

夜、キタローを抱いて運び、布団のいつももぐり込んで来るあたりのポジションに寝かせた。
僕はなんだか落ち着かず、となりの部屋でビールを飲んだり、不調のあるカメラの整備をしたりして夜更かししていた。
明け方になって、一家で雑魚寝している寝室に向かった。
いつも寝相が悪くて足元の方に移動していたりする上の息子も、今夜はキタローを気遣うのか定位置から動いていなかった。
僕もキタローの負担にならないように、空いたスペースに体をよじるように横になった。
なんだかパズルのようだった。

はっと気付かされる。
僕らはまさにパズルなのだ。
あれこれと関係し合いながら、時にここちよく時にややこしくひとつの箱の中におさまっている。
そこに紛れている動物もやはりちいさな1ピースに違いないのだ。
キタローがいなくなったら、この1ピース分のスペースをやはり何かが埋めるのだろう埋めなくてはならないのだろうと思った。
それは具体的にはなんなのだろうか。
新しく飼われる動物なのかも知れない。
もしくはそのスペース分を埋めるように各自が少しずつ形を変えるのかも知れない。
そんなことを思いながら眠りに落ちた。
キタローは静かに微かに息をしているらしかった。


翌朝、キタローは布団の上で苦しそうに喘ぐようになり、何度か軽いけいれんを起こしたあと、いつしか呼吸をやめてしまった。

Mikiは下の花壇からチョコレート色のひまわりの花を切って来て、キタローの体に添えた。
下の息子は、ずっとかたくなにマンガに目を落としていた。

家族に見守られての自宅での最期、自分もこんな風に死を迎えたいもんだなと思った。
先日ネット上で読んだアニメの今敏監督の文章のことを思い出した。

キタローが旅立ったのは午前10時であった。

夕方には庭のサビを埋めたとなりにみんなで穴を掘って埋葬した。

近所の息子たちの友達も穴掘りを手伝ってくれた。

ひまわりの花びらと好物の煮干しがいっしょに入れられた。

生前、キタローは煮干しをいちどにたくさんやると必ず吐いてしまうので、一回につき小さめの煮干しを一匹だけと決められていたのだが、今日は大きめのを家族みんなから一匹ずつ、計4匹もらえたのであった。
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by sakura-blend | 2010-09-05 01:43 | よしなしごと

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by sakura-blend | 2010-09-03 04:56 | KYOCERA 230-AF